2009年12月2日水曜日

いちにちのおわりに

自分の話を話せる相手や、
それ以上に、そのひとの話を聞きたいと思える相手がいたら幸せだと思う。
という話を、今日友人と、しました。

自分のきもちを100パーセント理解してくれる、そんなひとはこの世に存在しない。求めるべきでもないのでしょうね。

誰かの願いが叶うころ、誰かが傷ついていたりする。
その誰かはその尊さに気がついていなかったりする、きっと。

そんなことを、考えていたら、きもちが悪くなって吐いてしまいました。

わたしの願いが、叶わなくても、誰かの役に立てるひとにはなりたいです。
もし役に立てなくても、邪魔にならない人間ではいたいです。

卑下するわけでは全くありませんか、
特に取り柄や特技があるわけでもない自分が、
せっかくご信心を頂いているのに、そう考える他はありません。

そもそもわたしにだけでもわかってほしい、なんて思ってくれるひとすら、存在しないかもしれないけど。

別に何かがあったわけではないです。全然。

そもそもご信心をしていたら、間違いを願っても願われても叶わず、サインを頂けることが、気づかせて頂けることがご利益なのだから、
深く考え過ぎるに及ばず、御仏のお教えに添わせて頂けるよう行動あるのみ。

でもわたしは、しょうもないことを考えたり、する。

そんな自分は、あまり好きではありません。

0 件のコメント: