それ以上に、そのひとの話を聞きたいと思える相手がいたら幸せだと思う。
という話を、今日友人と、しました。
自分のきもちを100パーセント理解してくれる、そんなひとはこの世に存在しない。求めるべきでもないのでしょうね。
誰かの願いが叶うころ、誰かが傷ついていたりする。
その誰かはその尊さに気がついていなかったりする、きっと。
そんなことを、考えていたら、きもちが悪くなって吐いてしまいました。
わたしの願いが、叶わなくても、誰かの役に立てるひとにはなりたいです。
もし役に立てなくても、邪魔にならない人間ではいたいです。
卑下するわけでは全くありませんか、
特に取り柄や特技があるわけでもない自分が、
せっかくご信心を頂いているのに、そう考える他はありません。
そもそもわたしにだけでもわかってほしい、なんて思ってくれるひとすら、存在しないかもしれないけど。
別に何かがあったわけではないです。全然。
そもそもご信心をしていたら、間違いを願っても願われても叶わず、サインを頂けることが、気づかせて頂けることがご利益なのだから、
深く考え過ぎるに及ばず、御仏のお教えに添わせて頂けるよう行動あるのみ。
でもわたしは、しょうもないことを考えたり、する。
そんな自分は、あまり好きではありません。
0 件のコメント:
コメントを投稿