2009年8月24日月曜日

青少年の一座



なるべくホットな状態で更新を。。

8月22、23日と福岡で行われた青少年の一座に参加させて頂き、昨晩帰宅しました。

御奉公者のみなさまのおかけで、充実した旅ができ、
感動を得ることができました。

ありがとうございました。

詳しく書きたいのですけれど、PCの前で思いあぐねいています。

なんというか、感動とか、良かったとか、
そういうことではない。

強く激しいものが自分の中に流れ込んできた感じでした。

それをうまく処理できなくて、
その場では、いまの自分の個人的な感情と重なり合わずに、いました。
上手に書けるかわからないけど。。

わたしが求めていたことってこういうことのような気がする。

いちど、自分自身をクリアにしてみたかった。
自分の考えや行い、そのひとつひとつがちっぽけで、って思い知らされたかったのです。
わたしは弱くて、愚かな人間で、卑下してるわけではなくて、ほんと、なかなかできないことがたくさんあって、お参詣をさせて頂くし、御法門を聴聞させて頂くし、お講師ともお話させて頂くし、ご住職ともお話させて頂くし、家でも御宝前にむかわせて頂くし、ご奉公もさせて頂くよう心がけているし、ご信心をもっていることを常に心に置いているのですが、

愚かな自分っていう、強い自我みたいなのが、どこかにいつもあるから、
普段は自然にご信心ありがた~いって言えるし、させて頂けるんだけど、
時には辛くても頑張って、ご信心させて頂いているんだからって、無理に自分をそこに持っていく時っていうのが、恥かしながら自分には、あります。

前はもっと自分の中に波があったのですが、この数年でいろんなことがあって、
無理をせずに、心からありがたいとか、ありがたくないことも実はありがたいことにつながってるからありがたいんだ、とか(意味わかるかな?)何が起きても、サインなんだ、お計らいなんだって、
考えられるというか、感じられるようになって、
でも、どうしても、どうしても、自分の感情が勝りそうになるときが、わたしには、情けないんだけど、あって。
時には励まされ、時には叱られて、ここまで来たんだけど、御仏の教えに添えるように、教えて下さる方についていけるようにって、必死にならなきゃできないこともたくさんあった。

「自分より人」って、心がけてもいたつもりだし、
自分なんかよりも、もっともっと辛いことを抱えながら、頑張って、笑っている方もいる、ありがたいって、お計らい頂いている方もたくさんいる。
人々のために、必死でご奉公されている方々がいる。心から、尊敬する。自分もそうなりたい。
そこに目を向けて、やってきた、つもりだった。
でも出来てないんじゃないかなって、自問自答する日もあったし、
させて頂くんだって、奮起した日もあった、
わたしだって辛いよって思った日も、たくさんあった。

そういうのを、一度全部壊して、考え直したかったけど、
日々の生活でなかなかできなくて。

青少年の一座という、ありがたくも貴重な場面で、感じなおしたかった。

大勢の走り回るご奉公者のみなさん、

何日も何日も、この日のために費やしてこられた。
裏方の方も、表舞台に立たれている方も、みんなみんなが頑張っていて、
本当にありがたいなって、まず思ったことと、
イベント自体で感じたこと、映像、海外でご弘通ご奉公されている方々、
体験談や、歌(素敵だった~、プロだ)、
全てが、なんていうか、衝撃的な感動を、リアルにしなきゃいけないんだと思いました。
感じたことを、自分の中で、リアルにして、実践して、生きていかなきゃならないだって。

だから、すごくありがたかった。
ご信心に出会えて、良かったなって、改めて、思った。

だから、すごく素晴らしくて、感動したのに、
旅の前半よりテンションが下がっちゃった。それは良い意味で、なのですが。

りこちゃんを連れて、ご両親が、御祈願ありがとうございましたと、
ご挨拶して下さって、そういう場面も、もう、なんだか、良かったね、元気になって、とか、ありがとうございます、とかもちろんそれもあるけれど、そういう言葉じゃ済まされない。
学ぶ、とか綺麗ごとではない。
思い知らされた。わたし、もっと頑張らなきゃいけないんじゃないって。

実行委員長の最後のご挨拶でも、こんなに偉業を成し遂げたのに、彼は達成していないように挨拶をした。
これでいいんだろうか、もっとできるんじゃないかって、頑張らなきゃ、頑張ろうって。
これってすごいことだと思う。涙が出る。
なんてすごいことが言えるんだろうと思いました。
満足や達成を、感じたって、誰も文句なんてないのに。この状況でそんなことが言えるなんて。
素晴らしくて、そこまでもの全てが衝撃だった。

青少年の一座のあと、うまく笑ったり、話せたり、よく出来ているかもわかんない。

なんかも~ドワ~っと、日ごろのこととかなんなのわたしとか、でもなんであんなこと起こるの、とか。
でもでもでも、こうなりたいんだっていうのとか。。
わたし何やってるんだろうっていうのが、一番強かったりとか。
今思えばそう思うんだけど、その場では何を感じてたかすらよくわからないような衝撃だった。

感性が豊かなんで。。。笑
それはうそなんですけど。

今、ひとのためにできること。

それだけでいいんだ。難しいことなんて何もいらないんですよね。
寝ておきたら、そう思いました。ちなみに今日10時間寝ました。笑

ひとのためにできる、それを履き違えるとまた苦しくなるわけだから、改良改良で改良しぬいてこれからも菩薩行に励みます。

みなさまよろしくご指導ください。


とにかく、ありがとうございますのひとことに尽きる。
そんな感じです。


かなり自分的な感性でお話しちゃったので、
参加なさらなかった方は、
どんなイベントだったんだよ!わかんない!と思われる方もいらっしゃると思います。
迷わずご住職のブログをご参照くださいませ。笑
ここ追記、いまちかちゃんのブログを見させて頂きました。
すごく素敵に福岡での全てがまとめられていました。

さすがちかちゃん!
わたしなんかよりよほど文章を綴る才能を感じます。。笑

写真は、ご本尊。
パッと現れたとき、鳥肌ものでした。
感動、すばらしい、ありがたい。ボキャブラリーが少なくてすみません。。
すごかった。圧倒された。拝まなきゃ!誰かに伝えなきゃ!みたいな。。も~よくわかんないけど。
とにかく感動。


青少年の一座は1日ではなく、
前夜祭もありました、そのほかに交流会などもあり、個人的な時間など、
全て、ありがたかったです。

前夜祭では、法要、展示物、他寺院の方と交流させて頂いたり、布教区ごとのPRなど、
盛りだくさんで。どれも素晴らしかったです。

笑いあり、感動あり。
すごいなぁって、もうそれだけ。ここでもうまく伝えられないや。汗
みなさん努力されているなぁと言う感じ。。
神奈川布教区のPRは爽やかで、とても素敵でした!
グランデくんとファミリアちゃん。
わたし、グランデでご奉公させて頂いて、あれから、、何やってたんだろう?
前に進んでいるのかな、ちゃんと。
でもその間に起きたこと全てが、いまのご信心に繋がっている。
それがなかったら、いま感じてること、感じられなかったかもしれない。
もしかしたら、もっと、キレイに、恥ずかしいことも情けないことも、
さらけ出さずに人生歩いていけたのかもしれないし、そういうやり方もあったんだろうなって、
間違えたこともたくさんあったんだけど、救われた面もたくさんあった。
全てはシナリオの中。
後戻りするなら、真剣に前に進もうと思う。正しい選択をさせて頂けるように。
そういうことも、考えられました。


きょうは正直に話したついでにいろいろ話ちゃうけど、
わたしのこと、グランデで、開導聖人伝の脚本を書いたって、それだけで、知って下さっている方がたくさんいて下さって、いろ
んな方とご挨拶させていただいたり、ブログを書いてて読んでますって言って下さっている方もいたして、
ありがたいのですが、
わたしは本当ななんだか情けないっていうか。

あれから数年経ち、自分なりに努力しているんだけど、
じゃあ、脚本で何かやれているの?食べていけるようなこと、そこまで行かなくても、やってるって、ちゃんと言えるの?って自分
で自分に聞いたら、答えは正直NOでしかない。
だから脚本家って紹介されること自体が後ろめたいし、自信が持てない。
何もやっていないわけではないんです。
諦めたわけでもないし。

でも、わたしあのとき、グランデが終わって、興奮さめやらぬ状態で、何言ったかって思い返すと、
脚本家として成功して、ご弘通の発展に役に立てる人間になりたいって、言ってたんです。
いまも変わらないし、むしろますます強くそう思うわけだけど、
努力が足りなかったのかもしれない。

その間、結婚したり、いろいろ環境の問題もあったりしたけど、
そんなことって言い訳にすぎなくて。
何かしなくても食べさせてくれる人がいる、とか、普通は仕事してみんな生きていくのに、
家事やったり、母のお店をゆる~く手伝いながらとかお料理室やったりしながら、
脚本のコンクールだしたり、細々とたまに頼まれたもの書いたりとか、できるってすごくありがたい、
夢を追えるってありがたいし、感謝以外なにもなくて、外側から見たら、恵まれている以外何もない、
内側から見たってそう。
でもなんか違うんだなぁと思う。
これは外的なことじゃなくて、自分自身の問題として。
もう一度、努力の仕方とか、方法とか見直して、
今度何かあったら堂々と自分で、脚本がんばってるよって言えるようにならないといけないなって、
この自分のコンプレックスというのかな?中途半端さを解消しなければならないなって、
そこも強く思いました。
いままで口にしたくないからしてこなかったんだけど、
恵まれていることに逃げるって、違うと思う。
逃げているつもりは決してなかったけど、結局そういうことにもなる。
いまこうやって感じて思って考えて、
しっかり宣言したいなと思います。

プライドの問題ではなく、ご弘通させて頂きたいからです。
わたしはしゃべる口はうまくないと、自分では思う、だから、書くことを選んだように思う。
だから、わたしに出来るやり方を、もしさせて頂けるなら、そうなりたいと思う。。

とにかく、20代最後の夏に、これだけ衝撃を受けたことは、忘れてはならないことだと思います。
生かすことでしか、恩返しはできないと思っています。
がんばります。清く、たくましく。

めちゃくちゃだけど、いま書けることはこれが精一杯。
申し訳ないです。長いわりにまとまりもなく。。

でもいい機会かな、と思って、個人的なことですが、整理させて貰いたくて書いちゃいました。
書いたら、知られて逃げられません。自分にきびしくいかないと。。基本だめな女なので。。

あまりひとにこう、自分の内面を伝えたり、話したり、本当にすごく苦手で。
相手のことはなんでも聞けるんだけど、自分にはできないというか、
入ってこられたくない、とかではないんだけど、
単純に苦手。
わたしはおしとやかな女性でもないし、清楚な女性でもないし。涙
強いとも思うし、お酒も飲むし、なんなら煙草だって吸うし、笑
ハッキリしてるとか、明るく見られるってことはいいことだと思うけど、
マイナスの面も、自分にはちょっとあったりして。自分のせいなんだけど。
だから頼るひとも限られちゃうし、一点集中で、重くもたれかかる。笑
その癖、周囲に誤解されると、流せるほうが多いけど、内心傷ついたり。めんどうくさい。

例えば、結婚とかも、精神的な面ではお互いがお互いに溶けて重なり合って、ひとつになって、支えあってくようなことだと思ってたというか、理想だったわけだけど、
もちろんそこにうまく融合できないことがあったとしても、
認め合って、同じ方向を見ていくことが、良いことだと思ってた。
自分のせいで出来ない面に気がついたとき、努力もしてみるわけだけど、

そういうのもうまく出来ないのに他人様にうまくわかっていただくなんてこたぁ~なかなか出来ないわけですが。笑

ご信心があれば、それすら可能なんですよね。
せめて自分がひとにしてあげる、してあげるというと語弊があるかな、
それこそ、ひとにさせて頂く、ことには努力できるわけだし。
してくれたらもうそれは感謝しかなくて。
そこには厳しいこともいろいろあるわけだけど、
いろんなこと、「ひとのためにできる」ってひとになりたい、ほんとうに。
ひとの心に寄り添ってあげたい。
出会ったひとに、大切な大切なひとに。
やり方も難しいし、人によっては方法も変えなくてはならないし、簡単に言えることではないのですが、ご信心だけは変わらないわけで。
まずは自分がしっかりすること、自覚することが先決だと、思っています。



マジメなことはここまでで、
楽しい夜の写真も載せてしまおうかのも思いましたが、やめておきます。笑
いつも本当に自制しているんですけど、
本州から離れた九州は、わたしにとって解放区でした。笑
もし不快に思われた方がいらしたら申し訳ありません。たぶん、大丈夫なはず!?
すごく楽しかったです。
人の酔っているのは気にならないけど、自分のことはものすごく気になるんですよね。。
みなさん楽しそうだったから、大丈夫だと思うのですが。。
たのし~!かえりたくな~い!もっとのみた~~~い!って思った。笑

翌朝、ほんとにごめんなさい。
わかる人だけ、わかってください。笑
それだけがこの旅の心残りでございます。

今回、普段あまりお話したことがない方々や、女の子たちとも仲良くさせて貰えて嬉しかったです。
楽しかったし嬉しく思いました、ありがとうございました。
特にまみちゃんの素敵さに、わたしは自分の気遣いの足り無さを激しく内心後悔しました。笑

ちゃんとした30才になります。とりあえず、来月20日誕生日なので、
目標をそこにもつ。笑

青少年の一座、本当に、ありがとうございました。

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