101才でした。
きょうお通夜をして頂きました。
また落ち着いたら書かせていただきたいですが、
上行所伝の御題目で見送って頂けるありがたさを、
改めて目の当たりにしました。
お通夜までにも、
たくさんの、本当にありがたい御奉公をしていただきました。
あしたは告別式。
形ある祖父とはお別れになりますが、
これからだと思っています。
たくさんかわいいかわいいと、育ててくれた祖父に、
いつまでも心配ばかりかけてしまったなぁ。
それでも最期までかわいがってくれて、
最期までわたしたちの声に、御題目に反応してくれた。
少しは安心させてあげられただろうか。
死化粧ではなく、
御題目に、美しくして頂いたわたしの祖父は、
本当にいまでも、おしゃべりしそうなくらい、
素敵な表情で、
言葉がまとまらない。
最近、直葬など言う、
死後24時間安置後、納棺のみの直接の火葬があったり、
お骨の引き受け先がなかったり、
以前から御住職はじめ、問題提議している、
無縁社会からの結末、
また無縁でない方も宗教を持たないからなどいう理由で直葬を希望される方がおられるようですが。
ありえなさすぎる、
悲しすぎる。
憤り感じてしまう。
両親ならともかく、
祖父母はあまり関係ないなんていうひともいますが。
年寄りっ子のわたしには、ましてやご信心させて頂いている自分には、
悪意ない意見としても通じず。
亡くなった命に学ぶ重い教えを、
生きているわたしがもし実践できなかったら、
どうかわたしにひどいお罰を頂きたいです。
頑張らなければ生きる値打ちない、
そんな自分で、いいです。
あしたもがんばろう。
あしたもあさっても、ずっとずっと...
おじいちゃん。
わたし大丈夫かな?
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